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鉄拳は誰がために振るわれる

http://d.hatena.ne.jp/anteros/touch/20071218

 うん、ぼくもビッグオーは大好きだ。付け加えるとすれば、ビッグオー世界の「メモリー」は記憶としてだけでなく、記憶に由来する一種の職能として機能している。その結果、カタストロフ後のパラダイム・シティでは自分が持つメモリー(に由来する特殊能力)を制御できずに暴れるものが現れる。ベックみたいに。第1期におけるシティの秩序の攪乱者はメモリーを暴走させるか、あらたなメモリーを手に入れようとする者たちだった。そしてネゴシエイターであるところのロジャー・スミスは彼らを鎮圧する秩序の維持者として振る舞っていた。たぶん「トマト」とは、カタストロフの予感されたかつてのパラダイム・シティにおいて、その職能を持たされたもののことだったんだろう。小中千昭の好きな構図に乗っかって説明するならば、ロジャー(≒トマト)は旧支配者のエージェントでありその生き残りだったことになる。(小中は自分の関わる作品のストーリー展開にクトゥルー神話的なものを絡ませることが多い)

 でもゴードンの意図もあってか、また都市の《外部》が侵略者的な立ち位置を伴って現れたこともあってか、第2期のロジャーはそこから逸脱する。ビッグオーの操者としての職能的メモリーは維持しつつ、自分についての《かつてゴードンから「この世界を演出する存在と交渉してもらいたい」という依頼を受けたものである》というメモリーの存在と不在を認識しつつその回復は拒否し、今のパラダイム・シティで生きる選択をする。もちろんこの跳躍の大きな要因になったのがドロシーだ。既に持っている職能的メモリーゆえにパートナーとなり得た存在が現れたからこそ、自分自身の実存的な意味におけるメモリーの回復を拒否してもロジャーの生きる意味が揺らがなくなった。

 メモリーをめぐる物語の展開に載せて、重量感溢れる巨大ロボがどつきあう絵面を組みあげること。ビッグオーはエンタテインメントとしてこの二つの両立には成功しているとぼくは考えていていて、この二つがどちらも極めて高いレベルで融合しきらなければいけないとか、メモリーをめぐる謎解きが視聴者に読解の余地を残さないほどのカタルシスにたどりつかなければならないという立場に僕は与しない。細かいところはわからないけれど、たぶんanterosさんと近しいビッグオーの楽しみ方を、ぼくはしていると思う。

 そしてそれゆえに不足するイェーガー分はメガデウスのどつきあい分によって補填されうる。


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Sujit Sivasundram,"Sciences and the Global:On Methods,Questions,and Theory"

駒場で開かれる読書会で取り扱うテキストのまとめです。

読書会の詳細はこちら

テキストの原文はこちら。

Sujit Sivasundram,"Sciences and the Global:On Methods,Questions,and Theory"
Isis101(2010):146-158.

ABSTRACT
 このエッセイではグローバル化を指向した科学史の研究と記述の仕組みについて考える。資料が不足しているために研究計画をヨーロッパに関係のある話題に絞らざるを得ない、といういいわけを科学史家たちがいかに頻繁に用いたかということについて考える。
最初の節では複数の文脈を組み合わせる方法を提案する。不完全かつ代表的ではない資料群を、豊富で伝統的によく用いられてきた資料群と組み合わせて用いるのである。次の節では歴史叙述について検討し、近年の研究ではよりグローバルな意味合いを求められている、「植民地的」「民族的・国家的」といった用語に関して持たれてきた認識についても論評する。最後の節では実践とネットワーク理論について検討する。我々がこれらの道具を役立てるやり方が、実際に我々を、科学がどのように作用するかについてのヨーロッパ的かつヨーロッパ中心的な捉え方に導くのかどうかを問う。

 科学のグローバルヒストリーにおけるもっとも有名な大失敗は、伝播論が流布した、西洋科学の拡散という言説である。現在流行している分析の道具(実践理論や資料独自の文脈を引き出すことなど)が有効に機能するかどうかはまだわからない。研究者たちは理論に対して開かれた姿勢を持つことが重要である。
 著者は「文脈の相互化(cross-contextualization)」という戦略を主張している。様式や文化を横断して資料を読むのである。歴史叙述において、科学と帝国、科学と民族という組み合わせの関心を持つと、知的対話を狭めることになってしまう。知識の伝統を二股に分けてしまい、また因果関係についての疑問を中心に据えてしまうからである。新しい方法論と新しい歴史叙述についての関心は、現在の科学史に理論的土台を打ち立てることを求めるだろう。

GETTING THE SOURCES RIGHT
 根本的に異なる種類の資料はいかにして一つに編纂されるのか? ヨーロッパの科学史に関する資料が世界のその他の地域の資料よりも遙かに影響力があるという事実を歴史家はどのように克服すべきなのか?
 太平洋地域においては、科学が探検航海にどのように組み込まれたのかという問題に取り組むために、歴史人類学の科学史の叙述が豊富にある。しかしこれらの研究の多くはヨーロッパの資料によっている。著者も南太平洋での福音的宣教に関する評論誌、Quarterly Review に出会い、これを用いた。
 Reviewの記事はタヒチ島の島民がヨーロッパの科学と出会った際に生じた、彼らの科学観の変化に触れている。島民はヨーロッパの航海者が持ち込んだ鉄に興味を示した。また駐在宣教師とタヒチの王の間に交わされた会話の中で、王が神の居場所を知りたがったこと、それに応えて宣教師が天を指すと、太陽と月を四分儀によって地上に降ろすことができるのに、なぜ神を降ろせないのか、と反論したことが記されている。
 ヨーロッパとその他の世界を分けて考えないことが重要である。どちらか片方がより宗教的な考え方をしているということでも、片方が間違っているということでもない。島民は西洋の知識に基づく主張を理解し、論評した。この記事に書かれていることを、研究者が太平洋方面の知的伝統に基づいて読んだなら、より良い解釈ができるのではなかろうか。
 人類学によって、タヒチの遺跡が天文学的な意図に基づいてつくられていた可能性が指摘されている。これらの検討は移住と航海に関する資料と合わせて検討されるべきである。ポリネシア人は星の観測や潮の流れを活用して、すぐれた航海システムを構築していた。島民たちはヨーロッパ人から鉄を受け入れると、既存の農具を新しい文脈に応じて変えていった。
 タヒチの島民の科学観を踏まえると、Reviewの記事は大平洋における科学の欠如を示すものとしてよりも、島民たちがどのようにヨーロッパの知的伝統に対応したかの指標として読むことができる。むしろヨーロッパ人の方が島民たちの認識の方法を文脈の中に位置付けられていないのである。王はヨーロッパの天文学を表現の体系として理解していたのかもしれない。ヨーロッパの天文学は、島民たちが自分の位置を知るために天体の位置を活用したのとは異なる試みであった。王は自分たちの天文学を劣るものと位置付けることなく、ヨーロッパの天文学と自分たちの違いについて認識し、語ったのである。
 このような記念碑や航海方法などの資料に触れると、ヨーロッパの資料に関する理解を根本的に見直すことができる。著者はスリランカの椰子の葉文書を活用し、これをヨーロッパの科学史の文脈に位置付けようと試みた。その結果、これまでイギリスの植物学者がつくったと考えられていた庭園が、実際にはスリランカのキャンディ王によってつくられていたことがわかった。椰子の葉文書のような現地の資料は、植民地資料〔統治国のアーカイブ、ということか〕とは切り離されがちである。しかしキャンディ国とイギリスの自然に対する態度は並行し、連結し、競合するものである。相互の関係に目が向けられなければならない。
 科学史は関連主義的な歴史を書くことに巧みだけれども、研究者たちは資料の種類を限定することによって研究計画を制限してしまう。よりグローバルな形で科学史を展開するためには、史料を普段の視点から分離し、異なる文脈の中に置いてみることが必要である。

BEYOND COLONIAL AND NATIONAL HISTORIES
 文脈横断的に資料を用いる場合、歴史家は「植民地的」「民族的」というカテゴリーを用いることには慎重になるはずだ。科学の方法論は帝国主義と相性が良く、支配、統治のための手段を提供する。科学の知識は帝国を大衆化する手段ともなる。ヨーロッパ中心主義を越えるためには、ヨーロッパの帝国がその他の帝国とどのように衝突したのかを知らなければならない。最近の研究では、ヨーロッパの帝国は既存の情報ネットワークや科学の利益供与システムを奪い取ったのであって、科学と帝国の組み合わせによって支配したのではないことがわかっている。ヨーロッパ帝国主義における科学は現地の科学に出会ってある程度土着化したのである。
 科学のグローバルヒストリーを研究するものは植民地科学の研究をより広く豊富な織物の一部分として研究すべきだろう。植民地の科学を理解するためには、植民地化と植民地的、という分類を越え、すべての局面における知的伝統をばらして考える必要がある。太平洋においては、ヨーロッパと太平洋の島民たちのそれぞれの科学の伝統は競合し、それぞれにおいて実践された。その結果、お互いの思想の文化が豊かになり、変質したのである。いくつかの知的実践を捉える際に、片方が土着のもので、もう片方が外部的なものであるというふうには考えられない、ということも意識される必要がある。例えばムガール帝国の場合、その知的伝統それ自体がペルシャ世界の一部だった。これらすべてを考慮に入れれば、科学のグローバルヒストリーは世界中でおこなわれた様々な科学の実践における変化と変質の歴史となるだろう。ヨーロッパの帝国主義は、その物語の一部分を構成することになる。知識を猛烈な速度で循環させ、その知識がまとうべき巨大な権力と中央集権化をもたらすことで、異なる科学の伝統が出会うことを加速したという点において。しかしこの一部分もまた、より広い説明の文脈の中に位置付けられなければならない。
 脱植民地の時代に民族主義的運動が世界中で盛んになると、特定の国家の科学、という考え方が生まれた。これは歴史家の視野を狭めてしまった。国家を作るということは、特定の国家における科学の歴史が求められるということでもあった。しかし、実際には国家の科学を打ち立てようという政治的な運動それ自体が国家を越えた性格を持つものであった。中国のエリートは日本で科学を学び、ネルーはケンブリッジで科学を学んだのだ。脱植民地主義の烙印が近頃の書き物には押されているせいで、国家の科学が持っていた超国家的性格は見失われてしまった。歴史家もまた、科学に関する説明をする際に一国的な区分をしばしば用いてしまう。
 最近の文献において、国家の科学に関する主要な論点となっているのは間違いなく派生と擬態である。民族主義者は科学における帝国列強の圧迫を利用し、自らの政治力の基盤とするためにそれを擬態しようと試みたのだろうか? しかしこの疑問も因果関係に関するものである。民族主義的な科学を同時代の運動の中ではなく、植民地主義の文脈に位置付けてしまう。こう考えるよりも、むしろ民族主義的な科学をグローバリゼーションの指標として考える方が実りが多いだろう。20世紀まで、知識人と政治家は思想が猛烈なスピードで変化する時代に生きており、対抗する科学の学派は増殖する様々な地方と関連していたのだ。特定の地域と超国家的なものはグローバリゼーションの過程で結びつけられていた。すべてがそうだとはいわないが、民族主義者は植民地の宗主から思想を確かに取り入れていた。グローバリゼーションによって前植民地的、植民地的、そして植民地解放後的なものどもはすべて一緒くたにされてしまい、南南軸〔後進国間の連帯?〕も越えて、様々な側面を見せる近代性に置き換えられたのだ。
 確かに、近代性の問題はグローバルヒストリーの研究者が正面から取り扱うべきものである。20世紀まで、知識がグローバル化する時代において近代的であるとは、科学と技術を用いて飢餓や病気、発展の問題に介入することを意味していた。このような近代性は、収益を増大させ、また福祉行政に投資をおこなうために、知識を国家経済に結びつけるものでもあった。しかしここで興味深いのは、近代性は必ずしも専門家の意見を世界中へ広めるものではなかったということである。それどころか、近代と伝統はある程度まで共存し、絡み合っていた。近代的であることは、しばしば伝統を否定することであったり、また伝統を更新したり、失われた伝統を補うものであったりしたのである。近代性の語り口が覆い隠してきたものは、引き出されて、知識の伝統の運動と再登場というより広い歴史の文脈の中に位置付けられなければならない。古い伝統は、それが敗北することが予期されていたとしても、民族主義的近代性という文脈の中で新たな意味を持つに至ったのだ。

GLOBAL THEORIES
 〔GLOBAL THEORIESは〕単なる我々の方法論や歴史叙述上の語彙ではなく、もし我々がよりグローバルを指向した科学史を復活させようと思うのであれば、注意が払われるべきものである。最近の学問の骨子となるような理論的道具を精査したり、これらの需要が検討に足るものであるかどうかを考えることは重要である。
 ブルデューに触発された実践理論への転回は、ここ数十年の科学史における最も重要な展開である。ここ数年の科学の歴史の実践において、読書、記述、会話、実験、表現の実践の研究が盛んになっている。グローバルな舞台で研究をおこなおうとするのなら、知識の生産についてこれまでとは異なるやり方で実践の分野の限界を広げていかなければならない。
 理論的な用語に関していうと、ネットワークの思想という考え方があり、これは近年のグローバル科学の研究に最も大きな影響を与えたBruno Latour の仕事である。世界に広がる知識のネットワークの思想を利用しようと考える研究者は、固定された中心と周縁という認識を越えなければならないとはっきり述べてきた。むしろ、情報の回路の結節点として振る舞う限り、どの地方にも中心になるだけの能力があるのだ。地方性を連結し、知識をネットワークのなかに還流させる仲介者への関心の増大は、この認識と軌を一にしている。この大きな見取り図は、流動性が科学知識の特徴であることを強調している点で重要である。ネットワークは帝国も、民族も、地域も越えるものだから、ネットワークについて研究することはグローバルヒストリーにふさわしい。
 異なる種類の知識の間にどの程度の交流があったのか? これは検証の必要な問題である。接触領域という考え方は有益な議論の設定であるが、代表的なものとして考えて良いだろうか? 科学について書く際に、抵抗運動、反植民地主義、反グローバリゼーションといった視点を残すことも必要である。外部と知識を共有せず、政治的抵抗の構えをとった非ヨーロッパの人々を、どこへ盛り込めば良いのだろうか?

AFTERWORD
 科学のグローバルヒストリーは関心を集めつつある学問の分野だが、まだ方法論や歴史叙述、そして理論の面において取り組まれるべき問題を抱えている。科学史はヨーロッパや北米のものだという考えは次の20年ほどの間にみなおされるだろう。科学史家は自らの道具を変えていかなければならない。ヨーロッパ・北米の歴史叙述から生まれた、理解、歴史的問題意識、理論構築の様式に関する方法論がそれ以外の地域に盲目的に適用されるべきではない。科学史のグローバル化は学問分野の地理的な枠組を変えるだけでなく、それが大事にしてきた作法をも変えていくだろう。
プロフィール

higegeschichte

Author:higegeschichte
ワッショイデース
http://higegeschichte.tumblr.com/

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