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歴史はくりかえすのか 林健太郎「付論 戦後歴史学の課題」

『史学概論(新版)』(1970、有斐閣)所収


史学概論 (1953年) (教養全書〈第6〉)


史学概論 (教養全書)

 林健太郎の書いた「戦後歴史学の課題」という論文を読みました。林は近代ドイツ史を専門とする西洋史学者です。

 彼の書いた『史学概論』には、1953年刊行の初版と1970年に増補改訂された新版の2バージョンがあります。今回読んだ「戦後歴史学の課題」は後者に付論として付け加えられたものです。初出は1966年の雑誌『展望』。本来であれば本論を読んで感想をまとめるべきところですが、1970年の改訂に際して林がこの論文を付け加えたことの意図が気になったので、まずこちらを読んでみました。もともと単独論文だったこともあり、内容的にも完結しています。なお、雑誌初出時は異なる題名が付されていたようです。

 さて、いきなりですがこの論文は日本における「戦後歴史学」だけの話ではありません。林がここでとりあげようとしたのは、歴史学という学問の性質をめぐる議論にしばしば伴う「法則」と「個性」の対立という構図であり、その対立が時代・地域によってどのような特性を持ちつつ拡大再生産されていくのかということであるように思われます。論文としては割と長めなので、この論点について選択的にまとめていきましょう。

 林はまず日本で起きた「昭和史論争」に触れます。『昭和史』(1955年、岩波書店)は遠山茂樹ら講座派マルクス主義の立場に立つ歴史学者たちが書いた一般向けの新書で、文学者の亀井勝一郎から人間が描かれていないとの批判を受け、「昭和史論争」のきっかけとなりました。林はこの論争の根底に、歴史の底を流れる「法則」と表面にあらわれる「個別的事象」のどちらを重視すべきであるか、という歴史認識上の差異を見いだします。そして林は「昭和史論争」とほぼ同時期にヨーロッパで起きていた、アナール派をめぐる歴史学者たちの論争もまた同様の構図を持っていたと指摘します。

 アナール派は、厳密な歴史資料(=史料)分析に基づく事件史・政治史を中心としていた従来の歴史学(ランケの系譜を継ぐいわゆる史料実証主義)に対抗して生まれた学派です。彼らの方法論上の特徴は、ある特定の時代状況と社会の中に反復される構造を見いだし、それに基づいて例えば「集団的心性」のような、長期的・持続的なものごとの有り様を再現するところにあります。そしてそのいわば観測者的視点を活かして、事件だけでなく社会におけるものごとの全体的な連関性を描こうとします。そのため「全体史」「社会史」などと呼ばれることもあります。

 さすが林が慧眼なのは、この「昭和史論争」、アナール派をめぐる論争に加えて、19世紀末にドイツで巻き起こった「ランプレヒト論争」をも交えた上で、これら歴史学という学問についての論争を≪歴史の法則と個性をめぐる議論の反復≫として類比的に捉えようとしているところでしょう。「ランプレヒト論争」もまた、史料上にあらわれる個性を描くことを重視した既存の歴史学に対して、集団現象や類型に基づく法則性を捉える必要を唱えたカール・ランプレヒトが起こした論争です。林は「昭和史論争」もアナール派をめぐる論争も、「ランプレヒト論争」の経験を踏まえているのだろうかとやんわりと指摘します。

 「ランプレヒト論争」は同時代的にはランプレヒトの敗北に終わりました。ヴィンデルバント、リッケルトら当時の新カント主義派が歴史学における「個性記述」の重要性を主張したほか、ディルタイ、ジンメル、ヴェーバー、クローチェ、トレルチなども「歴史認識における主観的構想力の重要性を強調」しており、これらが史料実証主義にとって援護射撃の役割を果たしたからです。林はこれら歴史にとっての隣接諸科学が「ランプレヒト論争」において果たした役割を、アナール派がどう考えているかはよくわからないと言います。その代わり、アナール派の主張の背景に政治的な性質の欲求――フランス第三共和政とそれを支えたフランスアカデミズムがWW2においてあっけなく崩壊したことの衝撃とそれらからの訣別願望――を見いだします。そして、おそらくここが重要なのですが、アナール派のこの欲求が既存の実証史学の側(例えばゲルハルト・リッター)にはよく理解できていないために、論争が再び「法則」と「個性」の対立構図の単純な反復に陥ってしまっているのだと言うわけです。

 少し整理しなおしましょう。歴史上の「個性」を描くことと「法則」を見いだすこと、いずれを重視するかの対立が「ランプレヒト論争」でした。そしてこの論争は隣接諸科学が「歴史認識における主観的構想力の重要性を強調」して論争に参入したために「個性」重視側が優勢となって終わりました。しかしこれは単にプレイヤーの片方が勝利したということではなく、歴史認識上の変化をもたらしていると私は思います。つまり、歴史的対象の持つ「個性」と歴史的対象に内在する「法則」の対立という最初の構図に対して、歴史的対象を≪取り扱う主体の「個性」≫(=主観的構想力)を重視する認識が第3勢力として参入したと捉えるべきでしょう。そう考えると、アナール派は「個性」の積み重なりと全体的な相互連関の中に「類型」を見いだしていくわけですから、これも単なる「法則」重視の再来ではなく、別種の歴史学方法論の登場として理解されねばなりません。

 「ランプレヒト論争」の結果、このように歴史学の方法をめぐる認識上の対立構図が複雑化しているにもかかわらず、「昭和史論争」の当事者たちもアナール派をめぐる論争の当事者たちも、それを自覚しないままでいるのではないか、そしてその状態はこれからの日本の歴史学にとってよい影響を及ぼさないのではないか、という危機感を林が抱いているように私には読めました。林が収録に際して「戦後歴史学の課題」と題名を付した理由がわかるような気がします。

 このあたりまでがおおむね論文の前半にあたります。後半では、正統史学の系譜を引き継ぎつつ、アナール派の影響を受けとめて自己革新を目指すドイツ「構造史」派や、「伝統社会」と「工業社会」という区分に基づく発展段階論と社会類型論の組み合わせ理論モデルで経済成長という変革を捉えようとする「近代化論」の紹介に紙幅が裂かれています。無論このあたりも戦後日本の歴史学の流れを考える上でたいへん重要なので詳しく紹介すべきなのですが、私はもはや「ランプレヒト論争」の過程で歴史上の「個性」をめぐる認識がどう具体的に拡大深化していったのか、という疑問を抑えることができません。優先順位の問題です。そして「ランプレヒト論争」については、正統史学側の当事者であるエドワルト・マイヤーと、ヴェーバーの間で交わされた議論を収めた『歴史は科学か』(みすず書房、1965年)があることを林が教えてくれています。そしてなんと長らく品切れであったこの本は昨2011年の「書物復権」復刊企画によって復刻されており、私はこの本を既に持っているのです。読まずにはいられません。


歴史は科学か歴史は科学か
(1965/09/25)
エドワルト・マイヤー、マックス・ウェーバー 他

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 少し余談ですが、戦前~戦後に刊行された各種の『史学概論』の目次をぱらぱらと見ていると、「ランプレヒト論争」に関わっていた隣接諸科学の議論に多くの紙幅が割かれていることに気がつきます。林はあくまで1966年の時点から「ランプレヒト論争」を類比的に見ていますが、同時代日本の歴史学・隣接諸科学がこれをどう受容していたのかという問題軸もおそらくあり得るでしょう。戦前日本の官学アカデミズム史学―国史学がこういった外来の歴史哲学・歴史認識論に正面から取り組んだという印象が私にはあまりありません(無知ゆえかと思いますが)ので、そのあたりを埋めていくためにもぼちぼちと取り組んでいこうと思います。

 さて、 @kunisakamoto さんの提案で何気なくその気になってしまった遅塚忠躬『史学概論』読書会の準備というところから始まった私の「史学概論の旅」は、早くも初手からはてしなく脱線しつつあるようです。もはや着地点がさっぱりわかりませんが、どうぞ御立ち会い。


史学概論史学概論
(2010/05)
遅塚 忠躬

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