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『古文書学』の成立 佐藤真一『ヨーロッパ史学史』第Ⅲ部第3章「「博識の時代」における史料の収集と批判」


ヨーロッパ史学史―探究の軌跡ヨーロッパ史学史―探究の軌跡
(2009/05)
佐藤 真一

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 前回の記事では宗教改革の発生とそれに伴う教会史叙述の発展について概観しました。対立する宗派間の教理論争の道具として用いられたとは言え、史料を用いて自らの歴史的正統性を論証する、といういとなみがこの時期に活発化したことは覚えておいて良いでしょう。では、このトレンドはどのようにして古文書学の成立へとつながっていったのでしょうか。

 古文書の真偽、信頼性を判定するための学問的な方法としての古文書学の確立に大きな役割を果たしたのはジャン・マビヨン(1632-1707)です。長く続いた宗教戦争の影響で16世紀後半の修道院は荒廃しており、フランスにおいてはブルボン王朝の主導の下で修道制の再建が進められていました。この修道制再建のために上部組織として新しく設けられたのがサン・モール会です。フランス国王や宰相リシュリューから手厚い支援を受けていたサン・モール会は学問研究を重視していました。マビヨンはそのサン・モール会に所属していました。他派が学問研究を主に聖人の研究に限っていたのに対し、サン・モール学派は教父学、典礼、公会議史、フランス史までを幅広く手がけ、古文書学、古字体学、年代学などの歴史補助学を開拓する業績を上げました。中でもサン・モール学派が手がけた大きな仕事は修道会史の執筆でした。この仕事はマビヨンの主導の下、のちに『聖ベネディクト修道会聖人伝』としてまとまります。

 マビヨンはシャンパーニュ近隣の小村の出身でした。ランスの神学校で哲学と神学を修め、司祭になる直前に神学校を中退して修道士となります。特にマビヨンは教父や修道士、年代記作者の著作に精通しており、その評判は広く知られていました。そんなマビヨンの力を欲した人物がいました。サン・ジェルマン・デ・プレ修道院の図書館司書を務めていたアシェリです。アシェリはサン・ジェルマン・デ・プレ修道院の図書館収集物を再分類するという重要な仕事を任されており、そのためにマビヨンの助力を欲したのです。

 サン・ジェルマン・デ・プレ修道院に移ったマビヨンはクレルヴォーのベルナール全集の校訂新版を刊行する仕事を前任者から引き継ぎました。当時出まわっていたベルナールの偽文書を判別した上で、旧版の批評や新規の注、索引を付して刊行された新版は高い評価を得、マビヨンに名声を与えました。続いてマビヨンはベネディクト会の聖人たちの史料を整理する仕事に着手しました。マビヨンは既存の印刷史料を写本と対照して厳密な史料批判を行い、膨大な量の聖人伝・崇拝史を単に教化の材料としてだけではなく、歴史的な証言を拾い出す史料として生まれ変わらせました。マビヨンが『聖人伝』で培った史料批判の方法論は、のちの『聖ベネディクト修道会年代記』における歴史叙述にも存分に活かされることになります。

 マビヨンによる厳密な聖人伝の検証は高い評価を受ける一方、修道会に大きな波紋を引き起こしました。ベネディクト会との関係について史料的な裏付けの取れない聖人を叙述から排除したからです。マビヨンは同僚たちから中傷され、また修道会総会でも非難を浴びました。弁明の中でマビヨンはこう述べました。「もはや作り話を書いたり十分に実証することなく何かを主張したりすることが許されない、われわれの世紀のようなきわめて啓蒙された世紀においては、後者の道〔批判的に叙述すること〕が是非とも必要です」、と。

 マビヨンはこのように修道会史の執筆業務の中で、史料批判の実践を積み重ねていきます。しかしそこから単独で古文書学の体系化にたどりついたわけではありませんでした。マビヨンが古文書学の方法論を精緻化する作業に取り組んだのは、サン・ジェルマン・デ・プレ修道院の名誉を守るためでした。イエズス会士の学者であったパーペンブレック(1628-1714)が、その古文書論の中でサン・ジェルマン・デ・プレ修道院の所蔵史料を偽文書であると判定したのです。メロヴィング朝期の国王文書を保管していた同修道院にとって、この挑戦は看過できないものでした。

 この時期に中世古文書の真偽が問われたことには理由があります。30年戦争の結果、ドイツ諸邦では都市や修道院の主権をめぐる法律上の紛争が多発することになりました。主権の正統性を議論する中で、その正統性を担保するところの特許状や古文書の真偽が争われることになったのです。フランスでは家系の正統性をめぐって同様の紛争が発生していました。しかし古文書の真偽を判定するための方法論は共有されておらず、不毛な論争に陥ることもしばしばだったようです。この問題に取り組んだのが、先述のパーペンブレックでした。パーペンブレックはトリーアのいくつかの修道院に所蔵されていた文書群を比較対照し、そこから古文書論を組みあげました。パーペンブレックの調査は少々性急に過ぎ、その古文書論も極端なものでした。少しでも改竄の加わった形跡のある文書は偽文書として退けられ、そこから真正の部分を峻別するという発想は見られませんでした。パーペンブレックの用いた基準に照らし合わせた場合、サン・ジェルマン・デ・プレ修道院の所蔵史料の多くは偽文書となってしまいます。既に『ベネディクト修道会聖人伝』の編纂者として名高かったマビヨンが、この挑戦に立ち向かうことになりました。マビヨンは自修道院の文書を徹底的に再調査しただけでなく、各地の修道院を訪ねて古文書を探査しました。修道会士たちの協力、そしてコルベールの後ろ盾がマビヨンの挑戦を支えていました。

 こうしてマビヨンの著した『古文書学』は、文書の材質(羊皮紙、樹皮紙、パピルスはそれぞれいつ頃使われていたのか?)、文中で使用されている暦(教皇文書にキリストの受肉年が使用されはじめたのはいつからか?)、文書の記述様式(王はどのようなフレーズで文書を書きだすのか?)といった様々な要素の綿密な考証によって構築されていました。この業績により、パーペンブレックによって偽文書の疑いをかけられた多くの文書がその汚名を雪ぐことができました。マビヨンの『古文書学』を読んだパーペンブレックは、マビヨンに次のような手紙を送っています。

「全く反論できないまでに自分が打ち負かされているあなたの書物を読んだとき、私が不快な気持ちになったことは確かです。しかし非常に価値のある書物の有用さと見事さの前に、私の脆弱さは打ち砕かれてしまいました。〔…〕私があなたの考えに完全に同意していることを、いついかなる時でも、公然と遠慮なく仰って下さって構いません。どうか、私を愛して下さい。私は学者ではありません。私はもっと勉強しなければと思っています」(マビヨン『ヨーロッパ中世古文書学』、宮松浩憲訳、719頁)


『古文書学』がいかに精緻な反論であったかを伺うことができるとともに、パーペンブレックの真摯な態度が胸を打ちます。

 『古文書学』によってその名声を揺るぎないものとしたマビヨンは、『聖人伝』に続く『聖ベネディクト修道会年代記』の刊行途中でその生涯を終えました。マビヨンは『年代記』完結を見ることはできませんでした。しかし『聖人伝』の執筆過程で編み出された批判的な史料編纂の方法論と『古文書学』が『年代記』の歴史叙述を支え、近代歴な歴史学の基礎を形成することに大きな役割を果たしたのでした。


ヨーロッパ中世古文書学ヨーロッパ中世古文書学
(2000/03)
ジャン マビヨン

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