#1 #2 さてだいぶ間が開きましたが(ごめんね)第3-1回、「アイヒホルン、ザヴィニー及びヤコプ・グリム」です。長い(というか情報量が多い!)のでアイヒホルンのところまでで一度切ります。ここまでに、古典文献学と考古学、そして古文書学の革新が学問としての歴史学の成立に与えた影響を見てきました。モノ資料を扱う学問分野の発展と活性化という出来事が、そこから得られた知見を用いて新たな解釈と歴史叙述を生み出す学問の確立を力強くドライブしていたわけです。では、ニーブール、ヴォルフ、ベック、ミュラーといった、19世紀前半の先駆者たちが生み出した巨大な駆動力は、具体的に何を回し始めたのでしょうか。ここで焦点は、一挙にドイツに収束していきます。
アイデンティティに不安を抱えた時代には、自分の起源を探ろうとする試みが増えるものなのでしょうか。ナポレオンの大陸制覇がこの時代、つまり19世紀初めのドイツで青年期を過ごした人々の多くに鮮烈な記憶を刻み込んだかのように、グーチは語ります。様々な分野での革新者となるべき若者たちは、ドイツの起源を探し求めることにその情熱を注いでいたかのように描かれるのです。では、具体的に何の中に、彼らはドイツの起源を探したのでしょう。
その前に、古典文献学の革新が何で起こったのかをまず思い出しておきましょう。ポンペイの再発見に伴い、ギリシア文明を対象とする古典文献学の活性化が起こったのでした。ギリシア・ローマ研究の復興です。第2回でも紹介した通り、ギリシア文献学の泰斗、アウグスト・ベック*が古典文献学を約60年にわたって講じたのはベルリン大学においてでありました。このように新世代の古典研究がベルリン大学を拠点として栄えたのと期を同じくして、法律の歴史的研究がゲッティンゲン大学において活性化をはじめます。厳密にはどちらの大学にも古典文献学の講義はあったわけですけれども、あえて言えば、こういう色の違いがある、ということのようです。
*彼の名前の読み方は、最新の研究では「アウグスト・ベーク」が正しいとされています(安酸敏眞『歴史と解釈学』、脚注篇92頁)。とりあえず今回は、前回の記事との共通性を保つためにベックと表記しておきます。
現行で運用されている法律の性質を歴史的に解釈すること。これ自体は既に様々な大学でおこなわれていました。 ここからの跳躍がいわゆる歴史法学派の誕生を準備します。法律はそれ自身が国民生活の一部であり、表現である。国民生活そのものを通じてのみ、法律は理解される。これが歴史法学派の認識の原点です。歴史法学派の始祖の一人とされるフーゴー(Gustav Hugo 1764-1844)は、ギボンのローマ法に関する著述を通じて、この理解を表明しています。すなわち、まず我々が自分自身を投影することなしにローマ法とローマ人を知り、しかる後に、我々とローマの人々が――根底においては同じ人間であるその二者が――、行動や手続きにおいてかくも異なるのはなぜかを考えるとき、ローマ法はすばらしいものとなる、と。
カール・フリードリヒ・アイヒホルンがこのフーゴーの後を継ぎます。アイヒホルンの最大の特徴は、ナポレオンによって崩壊させられたドイツを救いたいという国民的感情を研究者としての情熱にリンクさせたことです。国制が大きく変化する今こそ、過去と現在の関係を把握しなければならない。過去そのものを論ずるのではなく、歴史から現在の制度や観念の基礎をたちあげること。それがアイヒホルンの目的でした。彼は法律・政治学・歴史学をゲッティンゲンで学び、神聖ローマ帝国の統治機構の実態を見聞して回りました。その経験をもって実務的法律家になることが彼の当初の目的でした。しかし彼は見聞の旅からの帰国後、フランクフルト・アン・デア・オーダーの教職を引き受けます。その職務の中で編まれたのが『ドイツ国家・法律史』でした。
アイヒホルンの研究をもっとも的確にあらわすキーワードを挙げるとすれば、「歴史の連続性」でしょう。彼は現行のドイツ法の中にローマ法、あるいは教会法に由来する要素の存在を見いだしました。彼は、異なった時代の法律観念と制度の関連をたどり、その間にある連続性を見いだしていきます。それを通じて、王朝、戦争、領土の変更の記録でしかなかったドイツ公法の歴史を、国民の生活に影響を与えるすべての要素の所産としての法律の歴史に書き換えていったのです。晩年には私法と教会法の研究をここに付け加えていきます。初期中世を理解するためには、法典や法令、法律書式の研究が進められなければならない。アイヒホルンのこの強い意志は、かつてあり、失われ、そして再興されるべきドイツを改めて見いだそうとする人々にとっては勇気を与えるものだったのではないでしょうか。アイヒホルンの博士号50周年祝賀式において、彼は「祖国の自由のために戦い、自由とドイツ国民との同一性を明らかにした人物」として賞賛を受けています。
しかし、彼の作業は一面では「国民の尊敬と愛に根ざした強力な君主制」の基盤を構築するための作業とも位置付けることができます。失われたものを取り戻すために「歴史の連続性」が用いられるとき、それは「ともすれば現在の創造的エネルギーを阻止しようとする傾向」として機能したことも記憶にとどめなければなりません。歴史法学派の保持した過去への尊敬は、頑迷な保守主義と紙一重の位置にありました。
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